なっくのブログ

フード産業で22年生きてきた人のブログ

はてなお題から あなたにとっての大人って?

あなたにとっての大人って?

憧憬のボール

あの頃の記憶



 

いつのまにか44歳になった。

1月が誕生日だから、ついこないだ。

なんとなく日ごろから、このテーマを考えていたので

書いてみる。

 

あの頃、見ていた大人にはなれたか

大人とは、なんだったか。

 

仕事して稼いで、言動に責任を持ち周囲と上手くやりながら

家族と生きている。

 

そんな存在が大人だと思っていたし、今も変わらない。

自分自身、そのように生きているつもりだけれど

想像していたより、何か違うし随分と辛いことも多い。

 

子供だった1980年代は、今よりも景気はいいし

大人らは胸を張って生きている人が多かったように思える。

 

頑張れば、報われる。

それが信念であり原動力の時代。

 

でも、自分があの頃の大人らと同世代になり

思うのは、意外にも良いものでもないな、という感想でしかない。

やはり、期待していたのだ。

大人らと同じようになれるのだ、と。

 

でもあの頃、見ていた大人には、なれてはいないな。

 

自分にとっての大人とは

ある時、職場の先輩でもある63歳の爺さんが言った。

 

「60超えたら社会のお手本でないと、あかんのや」

 

何で爺さんが、これを言ったのかは忘れてしまったが、とにかく言った。

 

社会のお手本。

 

こんな社会道徳みたいな一言が、頭に残っているということは

自分の中で、これが当てはまるのだろう。

 

44歳になるまで、良いものも見たし悪いものも見てきた。

たくさんの失望と、少しの感動も貰ってきた。

 

それなりに人生踏んできたつもりだけど

もちろん聖人君子でもないし、毎月の生活に喘いでいる。

 

飲食業だからコロナの影響もあり、サラリーマンとはいえ

先々の保証などない。

 

「商売、打つ手は無限」と教えられ、頑張ってきたけど

今は1年後の予測もできない。

 

子供を抱え、家庭を持ちながらも、この先どうしていくのか。

 

こういう状況にあっても、胸を張って日々を正しく

生きていくしかない。それしかできないと思う。

辛くてもしんどくても、子供の頃見た大人になれなくても

今日と明日、精一杯生きようと思う。

 

「社会のお手本になる」

 

そう思い、つまずきながら生きていく。

無骨だけど、そういうのが自分にはしっくりくる。

 

お天道様の下、堂々と天下を歩ける。

 

そういう人が大人だと、今は思える。